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May 31, 2007

考える、ということ

発明なり、何らかの知財を創出するには、「考える」必要がある。では、考えるということはどういうとなのであろうか。単に自分が知っていることを頭の中で検索し、最も必要な最適情報を引き出しているにすぎないのではなかろうか。与えられた情報と情報の組み合わせをしているにすぎないのではなかろうか。そうだとすると、情報が数多く与えられた方がよく、さらに、情報の組み合わせを可能な限り行い、その中から、価値ありと思った組み合わせを見いだせばよいのでは・・・なんて考えていると、創造の工学という本が目に付いた。

そこには、こんな記述があった。「さて、われわれの頭脳には1日のうちにも何万、何億という情報が入ってくる。そもそも創造とはいろいろな観念の新しい組み合せ、結合によって生れるものであり、また頭の中には無限の観念の結合が生れてくる。この無限の結合観念の中から、その一つを選択し、とり出すことは正に論理思考を解脱した直観思考、すなわち直観でなければならない。」(服部敏夫:創造の工学・開発社)

上記のような組み合わせを考えるとき、それは無限にあり、すべての組み合わせを検証するには時間が足りない。そこで、直観で見いだす必要があるというのだ。直観とは、「物事の本質や真相を、経験や推理の力を借りずに、いきなりとらえること。」をいうが、直観にたよることとするなら、その直観力を鍛える必要がある。

直観力を磨くには・・・さて、さらに考える必要がありそうだ。

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Comments

発明は脳内のどのような情報処理でおこなわれるのだろうかと、考えてみたことがあります。
http://www.patentisland.com/memo99.html

しかし、もっと根源的には「本当に、人間は情報を脳の中に記憶しているのか?」という疑問もあります。これをつきつめていくと、アカシックレコードという古代インドの思想にたどりつきます。また、人間の体は本当に遺伝子を設計図として合成されたのかという疑問もわいてきます。たった60億ビット(約750メガバイト)で140億個もの脳細胞の配置や、細胞内の複雑な構造、体細胞や骨格の配置や分化した構造を記述できるのかという疑問がわきます。
http://www.blwisdom.com/blog/shikano/archives/2006/05/post_60.html
やはり、膨大な情報量が人間の形成に不足しているというよに感じます。
それへの答えを与えてくれたのが、わたしにとってはラズロー博士でした。
http://plaza.rakuten.co.jp/bhavesh/diary/200702070000/

Posted by: 久野 | July 02, 2007 at 05:47 AM

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