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January 13, 2005

「コメント力」を鍛える

「できる人はどこが違うか」(斉藤孝:ちくま新書)に、できる人は、まねる力、段取り力、コメント力に優れているとある。
 そこで、有田芳生氏著の「コメント力」を鍛える(生活人新書:NHK出版)を読んだ。斉藤氏のいうコメント力と有田氏がいうコメント力とが一致しているか否かは、必ずしも明らかではない。
 有田氏は言う。コメント力=情報料理術の「すべて」である。コメント力と取材力の根源は共通している。コメントとは、何かを見たり聞いたりし後に、その対象について得ることができた自分の認識を凝縮した言葉。コメント力の出発点は、自分の言葉で対象を理解し、認識することだ。認識力とは人間を理解する力=人間力といってもよい。コメント・・・コミット・・・対象に働きかける力なのである。

 これらから総合して判断するに『対象を認識し、ある種の特定された「短い言葉」に凝縮し、当該対象物の最も特徴的なものをシンボル化して言い表す表現力』・・それがコメント力ではないかと思う。
 では、これを鍛えるにはどうしたらよいのであろうか。上記書物には必ずしも明確には示されていない。で・・私なりの見解。
 まず、必要なのは、「観察力」であろう。対象を冷静にそして客観的に観察し分析する。分析して見えてきたもの。そこには「気づき」が必要である。さらに、気づいた(複数の)「物」の軽重をおし量り、最も重要なものに着眼する。最後に選ばれた「物」を、最も適切な言葉で表す。そこでは、選ばれた「物」を最も象徴的に表すシンボリック的な言葉が用いられなければならない。このためには、前提として多くの「ボキャボラリー」を蓄積していなけばならないし、その中から最適な表現を引き出す、「センス」が必要となるのである。
 以上は、発明を見いだす「目利き」にも共通する事がらである。まさに、知財のセンスなのである。
 ところで、せっかく対象の中の「特徴的なもの」に「気づく」ことが出来ても、それを自分の「ボキャボラリー」で表現できない人がいる。すなわち、自分の枠内で「認識」できない人だ。そういう人はどういうことをするかというと、自分の持っている「ボキャボラリー」の中で最も近い概念の枠内に、無理やり押し込めてしまう。そして解ったようなふりをしてしまう。そういう人は全く成長しない。自分という小さな器の中で成長が止まってしまうのである。自分の持ちごまが無いときは、素直に降参して、新しい概念として受け入れてはいかがであろうか。

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